大学留学体験談

San Diego State University(アメリカ)


― 留学は“自虐”と“自尊”が紙一重。 ―

 

■自己紹介

木村万桜(キムラ マオ)

2019年4月よりアメリカ合衆国カリフォルニア州に正規留学。 2023年5月に Journalism Media Study 学部 Advertisement 専攻として、San Diego State Universityを首席で卒業。同年10月より日本国内の企業に勤務。

 

■留学の理由

高校3年春に志望大学の指定校推薦枠が消滅し、他の国内大学に妥協して入学するべきかと葛藤。そんな時、書籍「逆転の留学」が海外への進学意欲を高め、同年秋に留学を決意。

 

■留学フロー

高校卒業後に渡米→語学学校→コミカレ→4年制大学

 

■フロー別体験談

①EC San Fransisco 語学学校 (4ヶ月間:2019.04-2019.08)

英語は生徒全員にとって第二言語であったため、「間違えても恥ずかしくない」環境があった。それは積極的なスピークアウトを促し、日本語から英語への変換無しに話せるようになった。

  • <困難だったこと> 短期留学で来ている生徒も沢山いるため入れ替わりが激しく、年齢層もバラバラ。英語力だけでなく、誰とでも上手く付き合える社会性も必要。
  • <挑戦したこと>ホームレスへの配膳ボランティア、生徒会への所属

 

②De Anza College 短期大学 (2年間:2019.09-2021.06)

a.対面授業 (1年目)

落ち着いた雰囲気のキャンパスは勉強に最適だった。編入学を得意としている大学だったからこそ、プラン立てやカウンセリングなどリソースが充実していた。

  • <困難だったこと>編入学を目指す生徒が大半で友達作りには消極的だった。日本人は多くいたものの距離を置いていたため、友達ができない孤独な毎日を過ごした。正直、「留学を後悔」したこともあった。
  • <挑戦したこと>Red Cross Bloodへの所属

 

b.オンライン授業 (2年目)

新型コロナウイルスにより一時帰国をした。その帰国が抱えていたストレスを解消し、編入学に向けて気持ちを新たにできた。

  • <困難だったこと>日中はアルバイト、夜中はオンライン授業を受講という毎日だった。

 

③ San Diego State University 4年制大学 (2年間:2021.08-2023.05)

人種、行事、授業、そしてキャンパスの広さ。何に置いてもスケールが大きく自由な雰囲気があった。その興奮は行動力を高め、毎日がとにかく充実していた。

  • <困難だったこと> 自由な雰囲気は「何も行動をしないこと」も許容した。常に目標を持つことが行動を起こし、残りの学生生活と就職活動の成功をもたらすと思った。
  • <挑戦したこと> International Student Associationの運営、現地出版会社でのインターンシップ、一人旅、ホットヨガ通い

■就職活動

毎年秋に3日間開催される就職イベント、ボストンキャリアフォーラム(BCF)にて内定を獲得した。BCFでは一次面接以降の選考が行われるため、万全な状態でBCFの土俵に立つことが肝心だった。その為に私は半年前から就職活動を進め、数々の書類選考落ちや面接落ちの経験がBCFでの内定を導いた。

 

■総括

留学は「自分を映す鏡」だと思う。留学中の孤独や不安は「自虐」を生み、努力に対する成功は「自尊」を生む。それらを留学では何度も経験させられることで、「自分の可能性」や「自分の正体」を追求することができた。また日本社会とは逆に「出過ぎた釘は打たれない」という個人主義を重んじる米国社会が、自分らしさに自信を与えてくれた。そうしたアイデンティティの確立は、誰かのための人生ではなく、自分のための人生を切り拓こうと思わせてくれた。それを学生時代に経験させてくれた両親に感謝をしながら、社会人も自分らしく生きていきたい。


Dean College(アメリカ)


2019年1月、アメリカ、DEAN Collegeでの留学生活が始まった。アメリカに行こうと思った大きな理由の一つが年齢である。日本では伝統的に新卒採用が一般的であり、当時の自分は既に23歳であった為、年齢に対して比較的寛容なアメリカでの将来の方が想像しやすかった。また、グローバル化が進む中、昭和の時代とは異なり停滞している日本経済に対しての漠然とした不安もあった。初めてアメリカに渡った時には右も左も分からない状態で言葉もほとんど話せなかった。故に、今振り返ると回り道をしてしまった事もあった。今回はこれから留学する皆さんに個人的な経験と感想や、当時の自分が知っていれば良かったと思う事を記しておこうと思う。

 

 まず始めに、DEANでの勉強の難易度は想像していたよりも低かった。中学から成人を過ぎるまで一切勉強をしてこなかった自分がそう感じたので、日本で一般的な教育を受けた人にとっては、比較的容易に感じられるだろう。しかし、当然の事ながら授業は全て英語で行われるので始めは英語を理解するのにとても苦労した。これに対してはやはり地道に授業でやった内容を復習したり、分からない事があれば教授に聞きに行ったりしていた。教授達は協力的な方々がほとんどなので快く質問に答えてくれた。最初の学期が終わればこうした事にも慣れていき、それ以降あまり勉強で苦労する事はなかった。後は、授業に参加する、宿題を期限内に出す、試験対策をする、などの基本的な事を心掛ければ誰でも好成績を出す事は可能である。ところが、周りにはこうした事が出来ない生徒もいて、結果的にそれは最終的な編入先の選択肢に繋がったと思われる。

 

 また、一学期目は周りとコミュニケーションを取る事にも少なからず苦労した。やはり周りの生徒は自分よりも皆若く、中には8歳も年下の生徒もいた。そういった中、始めの頃はプライドが邪魔をし、上手くコミュニケーションが取れない事もあったが、英語というのは実際話さなければ身につかないのでなるべくそういった感情を抑えるように心掛けた。もちろん全員と話が合った訳ではないが、日常的な関わりの中で学んだ事や中にはとても尊敬できる生徒もいて、自分の固定観念を反省する事も多々あった。また、周りの生徒を見ていてやはり同国出身者で固まっている事が散見された。それは悪い事ではないが、英語を学ぶという観点においてはあまり効率の良い方法ではないだろう。しかし、実際英語の習熟度がまだ低い場合、現地の生徒達と対等に会話する事は困難なので他のアジアの国からの留学生達と積極的に会話する事が良い英語の練習になるであろう。特に香港からの留学生達はフレンドリーな生徒が多かった。

 

 他大学に編入するにあたって、留意しておくべき点がいくつかある。まず一番重要なのはTOEFLやIELTSなどの英語能力試験に向けて早めに準備する事だろう。自分の場合は志望校の願書の締め切りをその一ヶ月半前まで確認しておらず、期限を知った時には最寄りの街で受けられる試験が満員だった為、その一週間後に2泊3日でニューヨークまでIELTSを受けにいった。幸い必要スコアを出す事は出来たが、試験対策が一週間しか出来ず、その際にもし必要スコアが出ていなければ志望校に願書を出す事すら出来なかった。また、周りにも何度も試験を受けたり、期限に間に合わず願書の出せる大学が限られたりしまっていた生徒もいた。故に留学当初からこの事については考えておくべきである。

 

 そして、次の大学での専攻も少なくとも二学期目の終わりには決めておくべきであろう。専攻によって編入前に取っておかなければない必要科目が異なるので願書を出す際に必要科目が満たせず出せなかったという事もあった。どの大学のウェブサイトにも専攻ごとの必要事項が公開されているので、それに応じてどの科目をDEANで取るか決める必要がある。DEANにはGeneral Studiesという専攻があり比較的フレキシブルなプログラムになっている。この専攻ではどの分野からでも自由に授業を選択出来るので始めは様々な分野から授業を選択し、徐々に絞っていくという方法がまだ何を専攻したいか分からない生徒には勧められるだろう。自分も始めはビジネス専攻であったが、二学期目からこちらに変更した。

 

 ここまで長くなってしまったが、この一年DEANで学んだ最も重要な事は自己管理の重要性である。日本にいる時には周りの大人が助言してくれたり、あるいは決断を代わりにしてくれたりする事もあるだろう。しかし海外に行くと自分で考え、行動し、決断する事が必要不可欠になる。言い換えると、留学中に何もしないで過ごすか、活動的に過ごすかは自己責任なのである。どのような選択が良いかは個人によって変わるが、周りの生徒達の中には初めて会った時には高い目標を掲げていたのにも関わらず、時間と共に目標がどんどん下がっていった者もいた。そういった中で自分が感じた事は自己管理が出来ないが故に人生の選択肢が狭まってしまう事は非常に残念であるという事である。また、この一年を通して学問に対して遅れを取ってしまっていたが故に失っていた自信をつける事が出来たと思う。もちろん、まだまだ学ばなければならない事が山のようにある事は承知しているが、少なくとも一年前の右も左も分からない状態からは脱する事が出来たように感じる。もし初めから勉強の難易度の高い大学に通っていたら、途中で挫折していたかもしれないし、DEANのような小規模でアットホームな環境は特に勉強に自信の無い人が自信をつける為にも適していると感じた。

 

 最後に、これからはカナダに拠点を移し現地での就職と永住権の取得を目標にしていく所存である。これから留学する皆さんも是非留学を通して様々な事を学び、人生を最大限謳歌していける事を願う。

 

2020年5月21日 井村哲也

 


De Anza College(アメリカ)


(1)どのような目的で留学を決意しましたか?

幼少期から、ハリウッド映画が大好きで映画を字幕なしで理解できたらいいなと漠然と思っていました。英語を理解できるようになるためには、アメリカの大学に留学することが一番だと思い、留学しました。それに加え、普通の人では体験できないユニークな人生を歩みたいと思っていたので、絶好の機会だと思いました。

 

(2)De Anza Collegeでの学校生活について教えてください。

De Anza Collegeでの生活は、カフェテリアでのバイトと通し、たくさんの良い友達ができました。彼らには非常に感謝しています。勉強面は周りの生徒達、特に留学生達がストレスに晒されていたのが印象的で、しんどかったのが本音です。留学生はUC系列の大学に編入合格するには、ほぼ4.0に近いGPAが要求されます。周りの生徒達で、UC系列の大学を受けた生徒達のGPAは3.9〜4.0はザラにいました。それでも沢山の留学生達が第一志望の大学に不合格でした。何より正規留学生が一番恐れていたことは、どこにも編入合格ができないことです。

なので留学生は、死に物狂いで努力をしていました。GPAの他に、UC系列の大学に編入するためには、Personal Essaysを提出しなくてはなりません。このエッセイが何よりも大事なので、教授の助けが必要不可欠です。自分の場合は、授業で質問があればOffice Hoursに出向き、自然と教授と仲良くなることができ、エッセイを見てもらうことができました。やはり何事も積極的に行動するのが、一番だと思います。

 

(3)今までの留学で得たもの

今までの留学生活で一番得たものは、忍耐力と自立心だと思います。日本とは対照的に、大学のアメリカ人スタッフによる書類仕事は大変いい加減で、信用できません。自分自身で粘り強く、確認、行動しなければなりません。常に人任せにせず、自分自身で管理する大切さを学びました。そういう経験を通し、忍耐力と自立心培うことができました。

 

(4)留学中困ったことや、苦しかったこと、またそれを解決するために努力したこと

先ずは英語力。高校での英語の成績は良かったのですが、今まで見たこともない単語や言い回しは勿論、 何より英語で会話をすることは苦行でした。はっきり言うと、日本の学校で行われる英語教育は圧倒的に不十分だと実感しました。やはり一番の解決策は英語を話さなければならない環境に身を置くことでした。幸い自分が通った英語学校は寮も含め、日本人留学生の数が圧倒的少なかったので、半ば強制的に英語で会話をする環境でした。自分より英語が流暢な留学生、アメリカ人の話し方、語彙の選び方を片っ端から吸収していくことで改善して行きました。我々にとって、言葉に詰まったり、間違えるのは当たり前なことです。恥ずかしがらず、英語でコミュニケーションをとることが、効率の良い方法だと思います。

 

二つ目は、教授の選び方。生徒がどんなに努力してもAを取らせない教授が少なからず存在るのは事実です。Rate My Professorsという教授の評価をチェックできるサイトがありますが、それだけで自分に合う教授を見つけれるかは保証できません。やはりネットの情報ではなく、生徒の口コミが一番です。入学当初は、他の留学生は同じ英語学校出身の友達達などと情報網があるのに対し、自分は何も人脈がなかったので、知らずに評判の悪い教授のクラスをとってしまうなどありました。この問題においては、地道に良い友達を作るしか方法がありませんでした。そうすると絶対にとってはいけない教授、生徒思いの教授などの情報が入り、De Anzaでの戦略を有利に進めることができます。自分は友達選びに慎重な性分であったため、この戦略があまりできませんでした。いかにして積極的に、人と関われるかが重要だと思います。これから留学に向かう方々にはぜひとも参考になればと思います。

 

(5)留学に行かれる方へのアドバイスがあれば教えてください。

特にアメリカの大学への正規留学は数えきれない困難に直面するのは事実です。正直言うと高校の友達から話を聞くと、日本の大学の方が旅行、サークルなどよりどりみどりで圧倒的に楽しそうだし、日本語で行われる授業内容、単位取得は楽だと思います。しかしながら、アメリカ留学ではかけがえのない経験ができ、人間的にも以前と比べ物にならないほど成長することは間違いないです。他にも世界中から集まった多様な人達と出会うことができ、視野が広がると思います。他の国の方々は幼少期から英語教育が実施されており、例えば数学は英語で教えられています。それに対し日本人は、数学、化学、物理の言葉、問題文を全て英語で覚えなければいけないなど、スタート地点から圧倒的に不利です。その分、留学先で獲得した英語力は大きな財産になります。

 

(6)今後の進路

今年の秋からUC Davisに編入します。2年でしっかり卒業できるよう精進する予定です。正直言うと、アメリカの国籍またはグリーンカードが無い自分みたいな留学生にとってアメリカで就職することは非常に困難です。大学三年時、四年時でのインターンシップがアメリカでの就職活動に有利にはなると聞いたので、今年か来年にでも大学で優秀な成績を収めながら、インターンシップができたらと思っております。 T


ASA College Miami(アメリカ)


初めまして!内田 渉と申します。 これから私が留学を実現できた理由や現地での生活、帰国後のマインドの変化など。できるだけ詳しく書いていきますので、ぜひ留学を考えている方、留学は決まっている けど不安だなと思っている方の参考になれば嬉しいです。

 

 私は私が高校を卒業した2017年からアメリカはフロリダ州マイアミに 滞在していました。 現地の2年制コミュニティカレッジ "ASA College Miami" に通い、大好きなテニスをやりながら、海外の学校に通えるという夢のような時間 を過ごすことができました。さらに、学校から奨学金(完全返済不要)も 出していただけるという、僕にとってこれ以上ない条件で。

 

 では、留学に行くにあたり、ある程度の英語能力があったのか。

ーありません。 これがひどいくらいありませんでした。。 中学校の時に受けたTOEICは、200点ちょっとだったと思います。。

こんな感じですから、もちろん留学なんて考えられませんでしたし、今 までの人生で全く考えたこともありませんでした。

 

 しかし高校卒業間近に、母からチャンスをもらい、今でもお世話に なっている "プランB" 高野代表取締役と出会い、私の留学が実現しま した。 1つ私が活かせたことは、10年以上続けているテニスでした。高校時 に、インターハイに2回行けたこと。これが大きく奨学金獲得、入学に 繋がったと思います。 今まで自分が培ってきたものを大学側はしっかりと評価をしてくれま す。その評価を形として与えてもらえることが、カレッジ留学の魅力の 1つだと強く感じます。そして何より自分の留学に対して本気になってくれたエージェントさん に出会えたことが本当に恵まれていることだと感じます。  

 

入学が決まり、アメリカに行くための準備が始まるわけですが、これが意外と大変でした。。

やはり"VISA"は、インターネットで申し込みをした後、大使館に行って 軽い面接をしたりしますから、ある程度時間がかかります。ちょっと面 倒な作業でしたね。正直わからないことばかりで、頭が混乱していまし た。。

 

そして出発当日、泣きながら1人で飛行機にのり、泣きながら約18時間 飛行機で過ごしました。。たぶん一睡もしていなかったと思います。。 その時たまたま隣に座っていた日本人の方に、私から声をかけて、飛行機の乗り換えのために荷物をピックアップしていただいたり、入国審査で一緒に列に並んでいただいたり。助けていただいて本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 

そんなこんなでマイアミ空港に到着。 現地用の携帯のSIMカードを探すために空港を歩くわけですが、なかなか見つからず、3時間も空港内をさまよってしまいました。英語は、YesかNo、もしくはI want toしか使えませんから、必死で伝え、なんとか購入することができました。 こんな苦労するんだったら、もっと勉強すべきだったなと少し後悔しています。

 

すると次から次へとトラブルが起きるわけですね。 空港まで迎えが来ない。 使ったことのないUber(配車アプリ)で車を呼ぶが、3回もスルーをさせられるは、やっと乗車できて、寮に着くと、"あなたは誰?知らないわ"と突き返させるはで、本当に散々でした。。

 

ですがここで救世主が現れるわけです!台湾のテニスプレイヤー(かなり強いです)で、"日本の子がいるから泊まらせてもらいな"と、ある日本人を紹介してくれました。後にわかったことですが、彼もテニスが強く、私も一方的に知っている方だったので驚きました。今では一緒に遊んだり、かなりお世話になっています。そして彼の借りているアパートで1週間お世話になり、その間に別の日本人と友達になり、入学の手続きまでしていただき、頼りすぎてはいけないと思いながらも、彼らがいなくては、本当にそこらへんの道で寝ていたかもしれません。。

 

 寮に移り、外国人との生活が始まるわけですが、本当にストレスでし た。。 寝る時間なのにテレビを大音量で流し、誰かと電話を始める。 部屋も狭く、余計窮屈さを感じました。結局私は、アパートを借りて友達とシェアハウスを始めることになるわけです。

 

他にも夏シーズンは練習がないことを知らず、3ヶ月間学校に行くだけで、特に最初の3ヶ月は相手の言っていることが理解できませんでしたし、私から伝えることもできないので、今思うと本当によく耐えたなと 自分を褒めたいところです。 (一般的に3ヶ月で生活に慣れて、言葉も理解できてくるようです)。そして、3ヶ月が過ぎて、やっと練習がスタートしました。

練習に関しては完璧な環境だったなと感じます。 どういった環境だったのかと言いますと、

 

1, 1日2時間の短期集中型練習。 基本的に朝7:00から9:00まで。週末は他の学校を呼んで練習試合。ですが、こちらから訪問して参加することの方が多かったです。

2, 費用がかからない。ガット(張り代込み)、グリップ、コート代、練習代、全て無料でした。ハードコートなので、シューズを変えることは多くありました。ラケットは1度変えましたが、これだけサポートしてもらえたら、何も言うことはないですよね。

3, 遠征 1で述べたように、遠征が多くありました。 選手全員でバンに乗って行きます。もちろん交通費もかかりませんし、 反対に学校から昼食代が出ていました。だいたい1日$20くらいだったと思います。

 

このように、アメリカの大学スポーツは、選手に対する待遇が素晴らしく良く、私が入学した学校は、国際大会にも出場している選手も多く所属していて、彼らと練習することで、レベルアップしたことは間違いないです。本当に充実していました。試合のない週末はホームパーティーを開催して、たくさんの友達を呼び、ダンスをしたり、お話したり。海が綺麗ですから、ビーチに行ったり。 家族と旅行の際は、ハワイで集合して、共に幸せな時間を過ごしました。こういう遊びも日本で味わうことはなかなかできないことだと思いませ んか??

 

ただ正直、この"留学"を一言で言うと、辛かったです。

 

ですがこれが私の"留学"でした。そしてこれが"留学"することであると 自信を持って言うことができます。 私の準備不足、留学を甘く見ていた部分も多くありますが、 ここで私はチャレンジすること、カッコをつけた言い方をすると、自分の道を自分で切り開くことの重要性を本気で考えさせられました。 留学中、帰国後も自分に刺激を与えてくれる人と関わり、自分の人生を強く生きている方に出会うことができています。 自分がこうしたいと発信、実行すると不思議とこういった方々が周りに 現れ、関わることができるんですね。私は一生の宝物をこの"留学"で得ることができました。

 

かなり大変だった事の情報が多いですが、全て事実であり私が感じたこ とです。そして熱く伝えたいことです。

今回私の書いた文書を読んでいただきありがとうございます。 少しでも参考になったなと感じていただければ嬉しいです。 書いてよかったなと思います。

 

内田 渉


UCLA Extension(アメリカ)


先月なんとかUCLA Extension のAccounting certificate programを卒業しました。また卒業式とタイミングが合いましたので、出席してきました。

 

コロナ渦中授業はほぼオンラインで、キャンパス内での授業は3ヶ月ぐらいしか取れませんでしたが、貴重な経験を積むことができました。

 

海外生活、文化の違い、日本人以外の友達ができたこと、2年前の自分にはなかったこの経験は僕にとって人生の財産です。

 

これも一重に、海外留学でわからないことだらけの僕のことを英語や留学費用、ドミトリーなど親身ににサポートしていただいたおかげです。本当に感謝しています。

 

これからの予定としましては、今お世話になっている現地の日系会計事務所で1年間OPTをする予定です。

 

桧山


UCLA Extension(アメリカ)


-授業

キングスではTOEFLクラスを取っていました。ひたすらTOEFLの教科書や先生が用意したプリントを使って対策をします。特にスピーキングの練習に力を入れてくれたので、すでにリーディングができてスピーキングに自信がない人におすすめです。クラスの人数は多い時で10人、少ない時は3人でした。授業としての面白さはあまりないので、楽しくやりたい人には向いていません。ですので、真剣に勉強したい人におすすめです。

 

UCLA Extensionでは、大きく分けてファイナンスとマーケティングの授業を取っていました。ファイナンスの授業は基本ディスカッションがなく、成績評価は期末試験一発勝負でした。一方マーケティングの授業では、出席やグループワーク、プレゼンが評価の対象で、授業でも主体的に発言することが求められました。授業によりますが、一クラスは多くて20人で、基本は少人数クラスです。日本人は自分の他に一人いるかいないかでした。アメリカ人と留学生の割合が半々の時もありました。アジア人は中国人の方が多かった印象です。MBAを目指している人が取るクラスなどは、とても意識の高い人が集まっているので、授業で求められる発言やプレゼンのレベルも上がります。逆に、基礎クラスのようなものは、そこまでのレベルは求められない分楽です。どちらも同じ単位数を貰えるので、自分次第といえます。ただ、授業が殺伐としているわけではなく、先生もクラスメートも非常に寛容で理解があるので、そこまでプレッシャーを感じる必要はないと思います。Extensionなので基本的には社会人の人がメインです。学生の人はほとんどいませんでした。私は学生で、マーケティングも勉強したことがありませんでしたが、慣れてしまえば授業についていけないということはありませんでした。

 

-Residence/食事

寮は新しいとは言えませんが、二人部屋でひと月600ドルせずとてもお得です。キャンパスから10分なので立地もいいです。費用が安いかわりに、週一でキッチンで働くなどしなくてはいけませんが、友人ができるいい機会です。食事は食堂で食べるので、いつも誰かしらとコミュニーションを取ることができます。最初の内はグループの輪に入っていくのが難しいかもしれませんが、排他的な人はほぼいないのですぐに仲良くなれます。シェフはメキシコの方なので、どうしてもメキシコ料理が中心になります。でも中華料理が出る日もあるので、おいしい日もあります。ただ毎週同じ料理なので、飽きた人は外食したりしていました。おかわり自由なのでお腹いっぱい食べられます。

 

-友達

友達の多くは寮の友達でした。授業ではグループワークで一緒になった人と特に仲良くなりました。寮ではルームメイトをはじめ、食事時に新しい友人を作ることができるので、常に英語を喋る環境でした。中国人の方が多い印象で、日本人は多い時で5人くらいでした。

ちなみにキングスでは、学校が主催しているアクティビティに参加すればすぐに友達ができます。

 

-LA

キングスにいた頃はハリウッドに住んでいましたが、ホームレスの方が多く治安はとてもいいとは言えません。観光客が多いエリアは大丈夫ですが、狭い路地や夜になると危ない気がします。UCLAがあるウェストウッドはとても治安が良く、きれいな街です。公共交通機関があまり発達してないのが難点ですが、バスやUberで対応できます。ハリウッド周辺には地下鉄が通っているので都合がよかったです。

 

-UCLA Facilities

自習するときは、Powell libraryでいつも勉強していました。他にもいくつか図書館はありますが、ここが一番大きく寮からも近いのでおすすめです。試験前は夜中もやっていて、混んでいたりしています。ジムは設備が整っていて、バスケなどのコートもありとても広いです。キャンプ道具の貸し出しもやっていたりします。Extenisonの学生でも追加でお金を払えば利用できます。キャンパス内の食堂は混んでいることが多かったので、基本寮に帰って食べていました。お金の節約にもなります。

 

長堀達信


College of the Rockies(カナダ)


この度は息子のカナダ留学に際しまして大変お世話になりました。

数々のご配慮とお心遣いに感謝いたしましたが、やはり一番感謝すべき事は、高校を中退している息子に(費用も含めて)最適なプランをご紹介いただいた事です。そして、出発まで一カ月しかなかった中で、迅速、丁寧だけではなく的確に御手配を進めていただいた事です。

 

初めにご説明いただいたとおり、急がないといけないが間に合うとのお言葉どおり、全て準備が整うには出発直前までかかりましたが、全て安心して準備を進める事が出来ました。これらは豊富なご経験とプロフェッショナルとしての確かな知識からと改めて信頼いたしました。

 

先日、息子から「忙しい朝にすみません、今時間大丈夫?」と珍しく丁寧な言葉で電話があり「1セメスター終了とテストもほぼ合格」との嬉しい報告でした。「実際にカナダに留学してみての感想や高野さんに伝えたいことはある?」と聞いたところ

「日本では視野が狭すぎた。いろんな国の人がいて、みんな英語を話すのが当たり前で勉強している。日本にいたら絶対解らなかった。こっちに来て本当に良かった。」と留学後、一番嬉しそうな声で話してくれました。

 

新しいホームステイ先の感想を聞くと「ちょっと不満がありながらも、悪いからと変に気を遣って諦めなくていいんだと思った。そういう事は無駄なんだ。いいと思った方を選んで行動すればいいんだ。高校の事もそうだったんだと思う。」と言っていました。

 

小さい頃から何事にも一生懸命取り組む積極的な息子でしたが、カナダで少しずつ自信を取り戻し、そこに柔軟さも加わりつつあるようです。将来の希望を胸に念願叶って入学した高校を思いもよらず中退する事になった事は、親としては勿論ですが、本人が一番辛かった事と思います。今息子の成長を感じ嬉しく思います。息子の今後は現在進行形ですが、視野を広げられた事は確かな一歩だと思っております。

 

NS


Kings College(イギリス)


前略

 

親愛なる日本の皆様

 

 イギリスの夏は短く、9月初旬というのにもう冬の寒さをしのぐ方法を考えなければいけません。しかし今ではこの時雨の国も、私の愛する第二の故郷になりました。

 

私が渡英を決意したのは29歳の時です。当時私は日本で仕事をしていましたが、自分の人生に疑問を感じていました。このままでいいのだろうか、変わるべきなんじゃないだろうか。そう思って苦しんでいた時に、大学時代に海外を訪れた時の気持ちを思い出したのです。その時、私は生まれて初めて、自分が「日本人」であることを知りました。私たちは常に世界地図の上に存在し、一人一人が日の丸を背負って生きています。世界に生きる「サムライ」なのです。日本の文化を学んだものとして、もう一度世界で学び直したい。その気持ちが後押ししてくれました。

 

 渡英直後は、惨憺たるものでした。年齢の壁もありましたが当然英語には慣れておらず、周りの友人たちが流暢な英語を話し、読み、聞き、書く中、一人付いていけない自分に落ち込み、苦しみ続けました。しかしそんな私に対しても、キングスの先生たちは決して諦めず、根気よく教え続けてくれました。時には、授業が終わってからでも。素晴らしい友人たちとの出逢いもありました。彼らはうまく話せない私にも決して嫌な顔をせず、わからない箇所を教えてくれました。そして、仲間でいてくれました。彼等との友情は、きっと生涯に渡って続くでしょう。

 

 1年の後、あの劣等生の私が、英国の大学院入学が現実的になるくらいの英語力を身に付ける事が出来ました。それはひとえに、私を支え続けてくれたキングスの先生方やスタッフ、そして世界中から集まった素晴らしい友人達のお陰です。彼らには、感謝の気持ちで一杯です。

 

 日本の皆さん。もしも自分の生き方に疑問を感じているのなら、挑戦する気持ちを忘れないでください。勿論、何かを新しく学ぶというのは、簡単なことではありません。それも全く違う文化や風習、言語の中でです。苦しむ事も多いと思います。しかし、しばらくの後、自分がたくさんの宝物を貰っていた事に気が付きます。それは、苦しんでいる間には気付けないのです。中には、「自分なんかには」と思う人もいるかもしれません。でもそれは違います。何故って、それは私たちが日本人だからです。礼儀や礼節、物事を諦めない心と智恵を持った、強く優しい民族だからです。私は、英語が話せないということだけで、この愛に溢れた人々が世界で活躍出来ないのが悔しいのです。どうか、自分のことを信じてあげて下さい。そして、あなたの目の前にはいつも宝物があることを忘れないで下さい。それに触れるか触れないかを決めるのは、あなたの気持ちと、ほんのひと欠片の勇気だけ。日本の皆さんの新しい門出と、あの日の丸の様に燦々と輝く私たちの未来に敬意と願いを込め、ここに筆を置きます。

 

草々

 

榛葉隆太