エバートテニスアカデミー

保護者様レポート

グローバル教育を実践  ーテニスを通じて国際コミュニケーション力を高めるー

「Tennis」、それが息子・昂にとってのグローバルコミュニケーションの手段であり、目的にもなっています。

 

昂のテニス歴は小学校入学前まで遡ります。5歳上の兄が通っていた近所のテニススクールに一緒にご厄介になることに決め、小学校低学年時は学童保育代わりに毎日利用させていただきました。小学校高学年になりジュニア大会にも参加するようになると、これまでの「楽しい」テニスから「勝ちたい」という意識変化が起きます。同時に、錦織選手の活躍や国内で開催されていたTORAYやRakutenの国際大会観戦に足を運ぶことにより世界への関心も芽生えてきました。

 

昂が小学5年生の夏休み、その前年にプランBさんの仲介でプロワールドテニスアカデミーのサマーキャンプに参加した兄の影響もあり、「(プランB主催)IMGアカデミーのキャンプに行きたい」と主張します。初めての海外遠征でしたが兄の時にもプランB・高野さんにお世話になったので、基本プログラムの2週間にプラス1週間のオプションも安心してお願いすることができました。ですが、昂本人は英単語はおろかABCすら満足に理解できないような状態で、無謀な挑戦のようにも感じました。

 

そのIMGキャンプでは、テニス以外の面からも刺激を受けたようです。基本プログラムを終えて帯同の日本人メンバーが帰国、昂は1人残りオプションでの滞在延長に移リました。その移行時に1日だけインドからの小学生と2人部屋になった時がありました。彼は英語力ゼロでありながら、果敢にコミュニケーションを試みますが意思疎通が図れなかったようです。案の定、昂から「インド人の子、英語が通じないんだよ。What your name? て聞いても答えてくれない」と涙しながらの電話がかかってきました。受話器の向こうでは、盛んに「ネイム、ネイム」と本人はチャレンジを続けています。12,000Km離れた日本からもそんな息子の苦労・努力の様子が目に浮かび、心配する反面で嬉しい気持ちにもなりました。

 

それに懲りたと思ったのですが、翌年の夏休み、今度はゴールドコーストで行われた小学6年生対象のホームステイでのテニスキャンプに参加します。彼にとって、語学の問題は大きな障壁となっておらず、好きなテニスをインターナショナルで経験したい、という欲求の方が上回っていたようです。

 

中学進学は、テニスとグローバル教育に力を入れていた私立の中高一貫校に入学します。机に向かう学習が苦手な特性を持つ彼には、その中学校の多様性を重んじる教育環境はとてもマッチしていました。コロナ禍ではあったものの、特にテニス部での活動が彼の”やる気”を更に引き上げてくれました。そして、「アメリカにテニス留学したい」という感情が芽生え、テスト勉強そっちのけでテニスに打ち込む日々が続きます。同時に、プランBの高野さんに相談しながら、中学・高校における海外留学事情ならびに国内の中学卒業資格・高校入学のシステムについて、学校や行政に確認を進めました。「思い立ったが吉日」で”なる早”での渡米を決め、限られた準備時間の中で、高野さんには最大限のサポートをいただきました。

 

そして、中学3年夏休み明けからのアメリカ留学を決めます。昂とは、一貫校の高校編入を前提として留学を「1年間」と区切り、その期間で最大のパフォーマンスを発揮することを約束しました。目的は、テニスを手段に「世界を知ってもらう」ことに加え、グローバルコミュニケーションの手段である英語力の習得です。結果、昨年(21年)夏の全国中学生テニス選手権大会にて団体優勝、それを手土産にフロリダのEvert Tennis Academy(以下、ETAと略)での1年間のテニス留学に旅立ちました。優勝旗を手にした翌々日のことでした。

 

現地では、インターナショナルスクールに通いながら、世界中の仲間たちと共通言語の「英語」を用いて、共通の「テニス」というスポーツを通じて切磋琢磨することができました。ただ、渡米して数ヶ月で「胸郭出口症候群」という傷病に見舞われ、全力でラケットを振ることができなくなり、「もう帰国したい」と弱音を吐いたこともありました。そのような状況に陥ったためテニススキルの向上は不十分だったものの、英語だけで過ごす寮・学校生活も持ち前の明るさと社交力で英語力不足を補い、信頼できるエヴァートのコーチや友だちに囲まれて、充実した1年を過ごすことができたようです。帰国前には、「もっと居たかった」と名残惜しかったようですが、約束事でしたし、家庭の事情(母の入院や資金面など)もあり留学は継続させてあげられませんでした。

 

なお、ETA入寮時の唯一の日本人は同年代女子のエース・クロスリー真優さん、英語とテニスの共通語に日本語も加えて、親しくさせていただきました。ありがとうございました。

 

21年8月の留学開始時、私も同行して留学先の施設や雰囲気等を確認したかったのですが、コロナ禍でそれも叶わず・・・。ただ、高野さんに手配いただいたETAと現地学校でしたので、安心してお任せすることができました。

とはいえ、やはり昂がどんな生活をしていたのかも気になりましたし、現地でお世話になった方々にもお礼申し上げたかったので、22年6月の本帰国の際、彼を迎えに私もフロリダ・ボカラトンに飛びました。

 

そこで目にした光景は、英語力の問題などおくびにも出さないで堂々と欧米人と渡り合い、寮母やコーチ、生徒みんなから慕われながら、リーダー的に振る舞う昂の姿でした。とりわけ、22年ウィンブルドン(ジュニア)大会でダブルス優勝者となった先輩から目をかけていただき、私の滞在中にも映画「Top Gun:Maverick」観賞にも連れて行ってもらっていました(どこまで内容理解できたか不明です)。また、卒業式シーズンには先輩女性からプロムにも誘っていただき、パーティーの輪の中心に陣取って踊りまくっている彼の映像もSNSで紹介されていました。このように、一時が万事、「もっと居たかった」という本人の気持ちは偽りのない本音だったことが窺えます。英語力はあくまでも意思疎通の補助的な手段に過ぎず、パーソナリティや人間力、それに「テニス」によって彼は異邦人とコミュニケーションを図っていたのです。

 

さて、肝心のテニスの上達具合については怪我の影響もあり十分に評価することはできませんが、間違いなくグローバル感覚は醸成できたと思います。コミュニケーションツールとしての英語の使い勝手、世界の中での日本の立ち位置や目指す方向性など、朧げながらでも何かを感じてくれたのではないでしょうか。つまり、教科書での英語学習が不得手な昂にとって、友人と英語以上の大好きな「テニス」という共通語を用いてのコミュニケーションにより視野を大きく拡げることができたと思うのです。

 

そして、今、テニスを通じたスカラーシップを獲得して、米国の大学への進学を目指しています。高野さんの勧めもあり、そのために必要なテニスの国際基準であるITFやUTRのポイントの積み上げを狙い、ETAでの友人とも情報交換しながら、積極的な海外遠征を行っています。事実、22年夏・秋は、ナイロビ(ケニア)、スラバヤ・ジャカルタ(インドネシア)、それにイスラマバード(パキスタン)へ遠征しながら経験を積んでいます。シングルスは強敵が多いので、英語に全く抵抗がない昂は積極的に現地で声がけして上手なパートナーを探しながらダブルスでのポイントゲットに挑んでいます。

 

これから、その先にある念願の米国の大学留学に向けて、プランBのご指導を仰ぎながら親子でしっかり準備を進めたいと考えています。

以上

 

留学先:Evert Tennis Academy(ETA)

期  間:21年8月〜22年6月

参加者:藤川 昂 (当時15歳)

保護者:藤川 優